まずは、こちらの映像をご覧ください。
簡単に内容をまとめると、「大好きなパートナーが亡くなり、葬儀で悲しむ馬の動画」です。
先日、とある方が、この動画をご覧になったようです。その上で僕に、質問をしてきました。
内容は、「馬は、どうやって“葬儀”という状況を理解したのでしょうか?」です。…確かに気になりますよね。
そこで今回は、個人的な意見になってしまいますが、馬の「察する力」について、僕なりに思う事を解説していきたいと思います。
なお、今回の内容は、人によっては少々スピリチュアルな、難しい内容に聞こえてしまうと思います。そうならないように、具体的な例えは挙げていきますね。
馬が持つ、「察する力」
馬に限らず、動物は「察する力」を持ってると思います。
先程紹介した葬儀の例の他にも、例えば「犬は泣いてる人を見ると近寄ってくる」など、なんとなく思い当たるふしはあるでしょう。
これって、すごい事だと思うんですよ。
言葉を使わず、しかも異なる種族の動物の状態を理解する事が出来るわけですからね。しかも、何かしらを学んだわけではなく、本能的にです。
ただ、だからこそ僕たちは、不思議に思うわけですよ。最初の質問の通り、どうやって理解しているのかが分からないんです。
少なくとも、言葉ではない事は明確です。動物は言葉を話しませんからね。
改めて、ここからは、動物が感じ取っているものについて、ちょっと検討してみたいと思います。
馬が感じ取っているもの
今回は、馬が感じ取っているものを、大きく2つに分けたいと思います。
- その場にいる存在から受けるもの
- 「場」自体から受けるもの
解説していきましょう。
周囲の人間の様子や、自分への接し方などから受ける影響ですね。
例えば、テンションは下がっているのに、動きだけはハキハキしている人って、想像できますか?多分できないと思います。
僕たちに限らず動物は、その心境が、どうしても行動に出てくるんですね。
ほんのちょっとした事なんですけど、そのほんのちょっとの違いが、馬に違和感を生みます。
ましてや今回の例のような、悲しい時は分かりやすいですよね。その場にいる全ての人が、最愛のパートナーを亡くした馬に、同情と哀しみを持って接してくるわけです。
あ、今この環境は、普段と何か違うな、というのは分かると思います。
これは、人間の皆さんでも身に覚えはあるかもしれません。
小さい子どもが、親戚の葬儀に参列した時って、小さいなりに、会場の様子や、周りの様子を伺って、何か違うと思うものです。普段はうるさい子でもジッとしてたり、その違いに不安になり、泣き出す子もいるでしょう。
また、似たような例として、日本の伝統芸能である能なども、その動きの緩急や角度で、観客へ訴える内容を表現するというものです。
話す声の大きさやトーン、聞こえる音の鋭さや勢い、人間の動きなどは、間違いなく、動物に何かを訴えていると思います。
抽象的な言葉になりますが、「場の空気」などがこれに当たります。
明治神宮や、富士の樹海などを代表とする、パワースポットといわれる場所なら、皆さんでもイメージが分かりやすいですかね。「空気が違う」というのは、本当に重要な、馬に影響を与えるポイントです。
これって、スピリチュアルな話に聞こえますが、本当に馬を左右するものなんですよ。
僕たちインストラクター経験者や、競走馬に騎乗する方は、中でも、「危険な空気」については、非常に敏感になります。この空気は、何かあったら馬が爆発するぞと思っていると、何頭かを巻き込むような大事故が発生するのはけっこうよくある話です。
ただ、申し訳ない事に、何がそれを生み出してるかまでは分かっていないんですよ。
夏より冬の方が、空気の湿度が少ないから、音が通りやすいなどの違いは説明できるんですけど、例えば戦争の記念館などにある独特な空気感は、「何が」という原因までは特定できないですね。
分かっているのは、馬がそのような「場の空気」を理解できるという事です。そして、今回の例の場合、その空気の中心が、亡くなったパートナーだったんでしょうね。
人間の目に見えない力や圧というのは、本当にあるのかもしれません。そして、馬はそれを理解できるのかもしれませんよ。
言葉を使わない強み
ここまで聞いて、皆さんは正確に、意味が理解できたでしょうか?
なんとなく、は分かったかもしれませんが、正直よく分からないと思うんですよ。
ただ、個人的に思うのは、それが、動物の察する力が優れている理由だと思うんですよ。
何かというと、「言葉に出来ない」という点ですね。正確に言えば、「言葉を“使わない”」という事です。
よく聞くじゃないですか。言葉にできた段階で、その人の事は本当に好きじゃないんだ、とかいう言葉。
これって、アホな事を言ってるようで、けっこう真実を言ってると思うんですよ。
言葉という概念が生まれたから、人間は共通する意思疎通の方法が生まれ、コミュニケーションや文化を発展させてきました。
一方で、あまりにも言葉に頼りすぎた人間は、「言葉に出来ないもの」を、無かった事にするようになるんですね。
「お化けなんて迷信だ、科学で証明できる」というのが、その代表的な例ですよね。
「説明できないけど、確かに存在するもの」という考え方は消え、「言葉に出来なければ存在しない」と考えるようになります。
はるか昔から日本から日本に伝わってきた、八百万の神という考え方や、アニミズムという、どんなものにでも魂が宿るという考え方が消えたのも、近代化による弊害です。
ただ、馬と接する時は、その「見えなくなったもの」が非常に大事になってくると、僕は思います。
きっと、馬は、僕たちが無意識のうちに頭から捨てている本当に膨大な情報を全て受信し、人間とは違った世界を見ていると思います。
目で見える情報、耳で聞こえる情報という、確かな情報だけに捉われず、一度大自然の中で全身で深呼吸をするように、全身の感覚を研ぎ澄ませてみて下さい。
次第に、その感覚が普通になってくれば、馬の扱い方の質も上がってくると思いますよ。僕は、乗馬は馬と感覚を繋げる事だと思ってますし、そういう意味では、人馬一体という言葉も可能ではあると思っています。
まとめ!
今回は、馬の「察する力」の解説と、僕たちへの応用についてお話ししました。
大変長く、難しい言葉を話し続けてしまい、申し訳ありませんでした。僕も、大学の学術発表をしているようでした。何と言っても、質問のテーマが深いですからね。
極端な話、最後に言った言葉だけ覚えていただければ、今回の内容は省略していただいても大丈夫です。
限定された情報だけに捉われず、全身で馬を感じてあげて下さい。という事ですね。
実際、この馬なら、世界で一番自分が上手く扱えると思わせてくれる馬って、僕の浅い騎乗歴の中でも存在しましたからね。これだけ僕が、人馬一体はあると言い切れるのも、唯一無二のパートナーという経験を本当にしたからです。
皆さんも、そんな馬に巡り合えるよう祈っています。もし巡り合えたら、その時には、今回お話しした内容を、身をもって実感する事になると思いますよ。
ご覧いただき、ありがとうございました!